3・11 東日本大震災10年復興への歩み[マーケティング便りvol.19]
首都圏1都3県を対象に、緊急事態宣言は2週間程度の延長となりそうです。
辞退者続出のオリンピック聖火リレーは、今月25日からスタートで調整されていますが、果たして実行できるのでしょうか、気になるところです。
オリンピック開催に関するNHK実施の世論調査(1月)では、中止または延期すべきとの回答が約8割を占めています。対して同局が国内企業100社を対象に行ったにアンケートでは、約6割が何らかの形で今夏に開催すべきの回答結果に。医療従事者へのワクチン接種が開始され、個人にはマスク・手洗い・消毒が習慣化し、生活に則するあらゆる面でデジタル化が促進した今、何を最優先事項と考えて宣言の解除がなされるのか。非常に気になるところです。
少なくとも来年の今頃には、ニューノーマルな世の中にありつつも、オフラインでの飲み会や女子会が気兼ねなく行えるようにはなっていてほしいものです。
今回のピックアップ記事はこちらです。
—————————————————
「東日本大震災10年 復興への歩み」
https://www.kahoku.co.jp/special/ayumi/
河北新報ONLINE NEWS
—————————————————
2011年3月11日14時46分
地震、津波、そして放射能と、想定を超える事態が次々に起こり、悪夢が現実化することを思い知らされました。
あの震災から10年が経過しようとしています。
この河北新報社の記事では、甚大な被害を受けた被災地の復興への歩みを、定点撮影の写真で紹介してくれています。この写真を見てどう思うか、受け取り方は人により様々でしょう。
しかし、あの日のことを忘れず、教訓含め後世に伝承していくことについては、全ての人に共通の使命だと思います。
百聞は一見に如かず。写真や映像で見る10年前の被災地の様相は、目にする度に胸が苦しくなります。
しかし、復興の歩みと並べて見ることで、個人的には前向きな気持ちになりました。
あの日、私は社内で仕事をしており、縦揺れの衝撃にひどく驚いたのを覚えています。
縦揺れだとすぐに認識できたのは、阪神・淡路大震災を経験していたためです。当時京都は震度5強を観測。直下型地震の衝撃は小学生だった私の脳裏に焼き付きます。机の下に隠れたのは関西出身の社員でした。避難訓練で幾度となく頭を守れと言われても、一度経験しないと命より仕事を優先するのが社会人なのだと思い知ります。半泣きになりながら「死にますよ!」と、隣で揺れに驚きながらも、作業の手を止めない先輩に叫んでいました。
兵庫が震源地だと判り、母がすぐに神戸に住む従姉妹家族に電話をすると、「まだ揺れてるんですわ」と叔父が回答したため、すぐに受話器を置きます。その後電話は何日も繋がらず。そこに飛び込んでくるテレビの映像。親族の安否が知れない不安は、やはり体験した人にしかわからないものでしょう。幸い、従姉妹家族は全員無事でしたが、大阪ガスに勤める叔父はすぐに指定エリアの復旧に向かわねばならず。自分たちも、水も電気もガスも使えない状況で、幼い子ども2人を守っていた叔母の心細さは、とてもはかり知れないです。しかし、幼かった私は、非常事態において任務にあたる叔父を非常に誇らしく感じたのを覚えていますし、東日本大震災においても最前線でライフラインの復旧にあたる方々の尽力や、その背後にいる家族のことを考えずにはいられませんでした。
一人一人に、消し去れない記憶や思いを残す、それが震災なのだと思います。
阪神淡路大震災の教訓をもとに、建物の耐震基準が見直されたことは、地震大国日本にとって非常に大きな資産です。しかし、東日本大震災ではその耐震構造が非力となる津波災害が起こりました。10年が経過し、写真で見る被災地の街の復興状況は私を前向きにしてくれるわけですが、数字で見ると人口が大幅に減少していたり、福島第一原子力発電所の事故による除染が進んでいないとする意見、国に産業支援を欲する声がともに6割以上あったりと、まだまだ道半ばなのだと思い知らされます。何を教訓としていくのか。直接的なことはなかなか難しいのですが。個人として、母親として、社会人として、国民として、様々な視点から考え、できることを行動に移していきたいと思います。大それたことを言って、直近ではふるさと納税くらいしかできていないのですが。。。
※コロナ禍で聞かれなくなりましたが、東京オリンピックは「復興五輪」と呼ばれています。1964年大会は戦後復興の象徴とされましたが、東京都心が整備されただけで地方との格差は拡大したのだとか。今夏開催となるならば、真の意味で被災地の「復興」に繋がる大会であってほしいものです。
次回もお楽しみに!